女優の内田有紀さんについて、調べてみました。

NHK大河ドラマ「西郷どん」では好演、さらにNHK朝ドラ「まんぷく」で朝ドラ初出演と、今セカンドブレイクといっても過言ではないほどの活躍ぶりの内田有紀さん。
40代になっても10代の頃と変わらない可愛さを保っています。

そんな内田有紀さんですが、かなり壮絶な生い立ちをしていたようで・・生い立ちから芸能界入り、そして結婚までを詳しくまとめてみました。

まずは、内田有紀さんのプロフィール

スポンサーリンク
本名 同じ
生年月日 1975年11月16日
出生地 東京都中央区日本橋
身長 165 cm
血液型 O型
職業 女優、歌手、モデル
ジャンル テレビドラマ・映画・CM
活動期間 1989年 – 2002年
2006年 –
配偶者 吉岡秀隆(2002年 – 2005年)
事務所 バーニングプロダクション

引用元:Wikipedia

 

内田有紀さんの生い立ち

裕福な家庭でしたが・・

東京都の中央区日本橋で生まれた内田有紀さん。
ご実家は渋谷区広尾にあったそうで、広尾といえば高級住宅街で有名なところです。
内田有紀さんはとても裕福な家のお嬢様だったといえます。

内田有紀さんの母親は、20歳で出産したそうですので、とても若いうちに母親になっています。
父親が何歳かは明かされていませんが、若い2人の結婚はデキちゃった婚だったのかもしれません。
そのせいか、次第に両親の仲が悪くなり喧嘩が絶えなかったとか。

両親の離婚

そんな両親の元で育っていましたが、遂に両親は離婚してしまいます。
内田有紀さんが小学校2年生の時でした。
さらに裕福な家庭だった事もあり財産分与などで大揉め、親権争いなどもあったそう。
とても多感な時期に両親の泥沼離婚を経験、幼い内田さんにとっては悲しい出来事だったと思います。

家を転々と・・

そして両親の離婚後は、父親に引き取られる事となりました。
日本では大半は母親に引き取られる事がほとんどですが、父親が引き取ったというのは、一筋縄ではいかなかった離婚争いがあったのかもしれません。
しかしその父親は、程なくして再婚します。
新しい母親と暮らすことになりますが、思春期に入りかかった少女には負担が大きい出来事でした。
そして、内田有紀さんは父親の家を出て、母親の元へ行く事になります。

母親へ引き取られる事になった内田有紀さんですが、平穏な暮らしはまだ叶いませんでした。
母親も程なくして、再婚してしまいます。
父親の時と全く同じ状況に・・思春期になった内田さんは居場所がなかったのか、母親の元も去る事になりました。

実の母親が再婚したとはいえ、実の娘と一緒に住まないのはよっぽどの事です。
内田有紀さん自ら出ていったのかもしれませんし、母親の方が根を上げたのかもしれません。
実際のところは分かりませんが、当時の心情は計り知れない悲しさがあったと想像できます。

中学、高校へ・・芸能活動を

母親の元を出た後、祖父母に預けられる事になった内田有紀さん。
既に、中学生の時です。
中学は私立の藤村女子中学校・高等学校へ進学しています。

この学校は体育学校としても有名なところです。
ここで内田さんは、フェンシングを始めます。
こんなに複雑な家庭環境でしたが、もともと3歳~5歳まで日本舞踊、3歳~10歳まではバレエを習っていたほどでした。
フェンシングは五輪選手にもなれるくらいの腕前になったと後に語っていました。

中学2年生の頃には、モデル活動を始めCMなどへの出演していました。
もしかすると自立への準備の一環だったのかもしれません。
モデルとしてスカウトされていたのは小学校6年生の時で、すでに事務所へは所属していました。

しかもこのスカウトのきっかけとなったのは、母親がモデルスカウトを受けて一緒に撮影所へ行ったことがきっかけだったそう。
もし母親に一時でも引き取られていなかったら、今の内田有紀という女優は存在しなかったかもしれません。

本格的に芸能活動

そして、高校へ入ると共に祖父母の元を去り、一人暮らしを始めました。
芸能活動と共に、アルバイトなどで生計を立てていたといいます。
高校2年生のときに、ドラマ「その時、ハートは盗まれた」に出演します。

さらにユニチカの水着キャンペーンモデルに選ばれました。
今ではかなりレアな姿です。健康的でナチュラル美人です。

ここから怒涛の勢いでトップアイドルへの階段を上っていきます。
そして、芸能活動に専念するために高校は中退しました。

芸能界へ入るまでに、こんなに苦労した内田有紀さん。
とても明るくて笑顔が素敵な内田さんですが、少し陰のある役もこなせるところには、こんな幼少期の背景があった事も関係していそうです。

俳優の吉岡秀隆さんと結婚

スポンサーリンク

内田有紀さんといえば、俳優の吉岡秀隆さんと結婚していたのは有名な話です。
2人の出会いから別れまでをまとめてみます。

吉岡秀隆さんのプロフィール

本名 吉岡 秀隆
生年月日 1970年8月12日
出生地 埼玉県蕨市
身長 172cm
血液型 A型
職業 俳優、ミュージシャン、ナレーター
ジャンル 映画、テレビドラマ
活動期間 1975年 –
配偶者 内田有紀(2002年 – 2005年)

引用元:Wikipedia

北の国からで共演

内田有紀さんは、2002年のドラマ「北の国から~2002遺言~」に出演しました。
「北の国から」シリーズは長く続く人気シリーズで、主演は田中邦衛さんが主演で、その長男の黒板純役を吉岡秀隆さんが演じています。

「北の国から~2002遺言~」はシリーズ集大成、最後の作品でした。
内田有紀さんの役は、コンビニで働きながら純と出会い、恋におちていきます。
劇中で2人は恋人同士でしたが、その後2人はプライベートでも恋人同士となり大変話題となりました。

そして結婚

「北の国から」での共演がきっかけとなり、付き合い始めた2人。
交際期間などは明かされていませんが、ドラマの放送が9月で挙式をあげたのが12月という事で1年くらいかと思われます。

結婚式は2002年12月7日、北の国からのゆかりの地である富良野市内の新富良野プリンスホテルの教会で行われました。
吉岡さんは内田さんの事をこんな風に語っています。

撮影で同じ宿に泊り、同じものを食べた。彼女は壁のない人だった。雪の中でウエディングドレスを着たいということだったので、もう富良野しかないと思って、倉本先生に相談したら、『任せろ』と言ってくれた

内田さんが26歳、吉岡さんが32歳のときでした。
披露宴はフジテレビがバックアップ、北の国からの共演者も多数出席したそうです。

結婚生活

内田有紀さんは結婚を機に、主婦業に専念するという事で芸能界を引退しました。
自身の生い立ちからして、家庭を大事にしたかったのかもしれません。
二人で仲睦まじく買い物している様子など目撃されていたようです。

ただ、その頃の吉岡さんは多忙を極めていました。
ドラマ「Dr.コトー診療所」や「3丁目の夕日」シリーズなど人気作品に出ずっぱり。
映画やドラマの仕事で家を空けることが多かったそうです。
1人になる事が多かった内田さんは、孤独に耐え切れずついに家を出てしまいます。

離婚

2人の離婚は、いきなり内田さんの方から突き付けた形でした。
あまりに突然の事で、吉岡さんは何が悪いのか理由が分からなくて、かなり落ち込んでいたそう。
浮気などの女性問題ではなく、2人のすれ違いによるものだったとされています。

2人がコメントを出す事はありませんでしたが、「北の国から」の脚本家の倉本聰さんが離婚について言及していました。

結婚というものを2人ともよく分かっていなかったのではないか

2人の結婚生活は3年で終止符が打たれました。
内田有紀さんが30歳の時です。
その後、内田有紀さんは女優業に復帰する事になります。

復帰後は女優として精力的に活動しており、実力も兼ね備えてきました。
2人が共演するのも、見てみたい気がします。









よろしければ、ポチっとお願いします
     ブログランキング・にほんブログ村へ
スポンサーリンク